いくらなんでも35歳 もうアラフィフ編

いくらなんでも35歳までには結婚すると思っていた40代おひとりさま絵日記。

自己紹介

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◆ひとりがデフォ

ぐっちと申します。独身アラフィフ女性です。故郷を離れた30代後半から絵日記ブログを描いています。
昔からひとりが平気なタイプで、現在の生活も気に入っています。「おひとりさま」に特化した記事は少なめでおもに日々の出来事や気づきを描いています。

 
◆沖縄県出身ですが泳げません

那覇市育ちで海もプールも縁がなくてカナヅチです。
両親とも県外からの移住家系で、わたしには沖縄・徳島・広島・鹿児島の血が入っているようです。 

◆家族

両親は他界。
沖縄に兄ファミリーと姉夫婦がいます。


思い立ったら東シナ海もひとっ飛び

大学進学で上京し、ホームシックも無く東京の生活が気に入っていましたが、母の大病をきっかけに沖縄で就職しました。

 

転機は母の死去から10年ほど経った30代後半のころ。
様々な問題が一気に片付いたタイミングで恋愛も絡み、
山口県の下関市へ転居しました。
家族をはじめ周囲の人々は、相当驚いたようです。

 

◆山口から横浜へ

山口での7年間で40代へ。
山口に来たきっかけとなった恋人とは既に別れていました。
都会への転居を考えていたころ、縁あって横浜へ。
ひとりで横浜の不動産を訪ねて部屋を決めたので、
わたしも大人になったものだ…と40代を実感しました。

◆都会へ転居した理由

ズバリ、公共交通機関が発達しているからでしょう!
山口は沖縄ほどではないものの、車社会で個人的に不便でした。
しかも下関のバス運賃は異様に高い!
住み続けるのは厳しいと判断しました。

沖縄では車通勤、山口では原付バイクに乗っていました。
しかし、もうよほどのことがない限り、運転することはないと思います。
MT車しか運転したくないというのが大きいですが、
『暗殺教室』の殺せんせーと同じで(わからない人ごめんなさい)
運転中は人格が荒むので、しない方がみんなしあわせかと。

それに加えて山口時代にバイクで自損事故を起こしたので、運転は封印することにしました。

しごと

地元では印刷・出版業界を何社か渡り歩きながら、DTPデザインやライターをしていました。
一番長く携わっていたのは社史・記念史や自分史の編集・代理執筆でした。
フリーランス時代の仕事依頼はライター9割、デザイン1割でした。
沖縄を離れる数年間は仕事に追われ、
精神的にも肉体的にも無理をしていたと思います。
顔が一気に老けましたから…。

 

下関では派遣社員で某新聞社の文字入力業務を二年ほど。
その後、関門海峡越えで北九州の会社にクリエイターとして勤務。
その会社は解散まで、驚いたりドン引きするような経験がありました。
仕事はやりがいがあり、楽しかったで救われましたが。

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解散&退職後はバレエを優先した結果、
工場勤務に落ち着きました。未知の世界で貴重な体験でした。


◆おかね

横浜に来てからはサイト運営がおもな収入源です。
思うところがあり複数の商用サイトを整理しました。
当ブログに注力しつつ今後の展開を模索中です。

2016年1月から10年ぶりに株式投資を再開しました。

 

◆バレエ

高校時代に器械体操部だった流れで
20代後半にクラシックバレエを始めました。
ずっとストレッチ系のクラスだったので、本格的に始めたのは転居後の30代半ばです。
ここ数年は舞台が続き、バレエ中心の生活になっていました。
現在は淡々と続けています。

 

◆恋愛
基本的に恋愛体質で、寂しさというよりは好奇心で恋愛に飛びついてすぐ離れる…を繰り返していました。
横浜に来てからもお付き合いしてみたものの、恋愛中心の生活になってしまうことに、若いころには無い焦りを感じました。
残り少ない人生、恋愛よりもするべきことがたくさんある!と思い直し、今はひとりの生活を楽しんでいます。

 

◆断捨離からシンプルライフへ

ときどき突発的に要らないものを捨てるだけの断捨離アンでした。

遅ればせなが2015年に近藤麻理恵さんの
片付ける技術を知ってからは、
「ひたすら要らないものを捨てる」から
「『好きなもの、必要なものを残すため』に要らないものを捨てる」に
シフトしました。

ちょうど「ミニマリスト」(最小限のもので身軽に暮らす)という言葉を耳にするようになり、その手法を自分なりに取り入れるようになりました。

それとともに、いままで曖昧だった自分の「好きなもの」を意識するようになり、自分自身に対してより関心が向くようになりました。